
コーヒーを家で淹れ始めてから、気づけば10年以上が経ちました。
最初のきっかけは、あるカフェでした。
カウンター越しに見たマスターが、静かにコーヒーを淹れている姿。
その動きはとてもゆっくりで、無駄がなくて、
ただ見ているだけなのに、なぜか心が落ち着いていく。
「自分でもやってみたい」
そう思ったのが始まりです。
コーヒーを淹れるという時間
作業ではなく「ひとつの流れ」
コーヒーミルを用意して、
豆のままのコーヒーを挽く。
挽いた瞬間に広がる香りは、
それだけでどこか遠くへ連れていかれるような感覚があります。
少し大げさに聞こえるかもしれませんが、
本当に「天国に行ってしまいそうな香り」です。
ドリッパーにセットして、
お湯を沸かして、温度を少し整える。
そして、粉にお湯をそっと落としていく。
注ぐというより、
ぽとぽとと、垂らしていくような感覚。
最初は静かに湿っていき、
やがてふくらみ、ゆっくりと呼吸を始めるように膨らむ。
少し蒸らしてから、またお湯を落としていく。
音と香りと温度の中にいる
どこかのタイミングで、
ぽと、ぽと、と
抽出されたコーヒーが落ちる音が聞こえてきます。
最初は間があり、
やがてその間隔が短くなり、
ぽとぽと、ぽとぽとと続いていく。
その音を聞きながら、
ただその場にいる。
何かを考えるわけでもなく、
何かを達成しようとするわけでもなく、
ただその時間の中にいる。
時間が来たら、
さっとドリッパーを外す。
温めていたマグにコーヒーを注ぐと、
表面にゆらゆらと油が揺れ、湯気が立ちのぼる。
その様子を、ただ眺めてしまう。
なぜこれは「儀式」なのか
一瞬で終わるものに、時間をかける
コーヒーは、飲もうと思えばすぐに飲めます。
インスタントなら数秒で完成するし、
コンビニでもすぐに手に入る。
でも、自分で淹れるときは違います。
数分という時間をかけて、
ひとつひとつの工程を丁寧に味わう。
そして、その時間の中で、
自然と呼吸が落ち着いていく。
体の力が抜けていく。
「今ここ」に戻る行為
コーヒーを淹れるという行為は、
過去のことを考えたり、
未来の不安を想像したりする余地がほとんどありません。
なぜなら、
・香りを感じる
・音を聞く
・温度を感じる
・動きを調整する
そうやって五感が自然と働くからです。
そのとき、人は
「今ここ」にしかいられなくなります。
お茶や茶道と同じもの
昔の人が大切にしていた時間
これはコーヒーだけではありません。
お茶も同じです。
茶道では、一つひとつの所作がとても丁寧に行われます。
お湯を沸かす音、
茶碗の温度、
手の動き、
呼吸の流れ。
すべてがゆっくりで、静かで、無駄がない。
そこには、
「効率」や「結果」ではなく、
その瞬間を味わうための時間があります。
なぜそこに価値があるのか
何かをするにも、すぐに結果が求められる。
でもその中で、
あえて時間をかける行為。
それは一見、非効率に見えるかもしれません。
でも実は、
そこにこそ人が整うための余白があります。
五感が開くとき
私たちは本来、感じる存在
コーヒーを淹れているとき、
・香り
・音
・温度
・視覚
・触覚
すべてが少しずつ開いていきます。
そして気づくと、
外の世界と切り離されるのではなく、
むしろ
この世界の中に溶け込んでいる感覚になります。
万物とつながる感覚
少し抽象的に聞こえるかもしれませんが、
この時間の中では、
自分と外の世界の境界が少し曖昧になります。
コーヒーの香り、
お湯の温度、
空気の流れ。
それらと自分が、
切り離されていないような感覚。
「余裕」があるからできること
時間と焦りのない領域
こういった儀式のような時間を持つには、
ある程度の余裕が必要です。
時間の余裕。
そして、
焦りのない状態。
常に急いでいるときには、
このような時間を取ることは難しいです。
ゆるむことで戻れる場所
でも逆に言うと、
少し立ち止まって、
呼吸を整えて、
ゆっくりコーヒーを淹れてみる。
それだけで、
体と心は少しずつゆるんでいきます。
そして気づくと、
本来の自分に戻っている。
まとめ
コーヒーを淹れることは、
単なる作業ではありません。
それは、
今ここに戻るための小さな儀式です。
一瞬で終わるものに、あえて時間をかける。
その中で、
呼吸が整い、
身体がゆるみ、
感覚が戻ってくる。
最後に
もし最近、
・考えすぎて疲れている
・ずっと頭が休まらない
・どこか余裕がない
そんな感覚があるなら、
一度、ゆっくりコーヒーを淹れてみてください。
それだけで、
少し世界の見え方が変わるかもしれません。
そしてもし、
一人でゆるむことが難しいと感じたときは、
そういう時間を一緒に体験することもできます🌿

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