
恋愛とは
恋愛とは自分を知るための最大の自己理解装置だと思っています。
恋愛の最高峰は無条件の愛。
言い換えると、好きな人が誰といても、誰と付き合っても、誰と目合っても(セックスしても)
それを祝福できるほどの心の余裕と器が育っている自分でいられること。
とても悟っている仏陀のような領域かもしれません。
でも僕は最終的にはみんながそこへ辿り着くのではないかと感じています。
もちろん僕自身もまだまだ途中段階ですが(笑)。
嫉妬や執着は悪いものではない
嫉妬深いこと。
執着してしまうこと。
それは決して悪いことではありません。
むしろそれは自分を見つめ直すために必要な感情です。
なぜなら、
「私を見て!!」
「なんで私を見てくれないの!!」
「もっと私のこと考えてよ!!」
「もっと私のこと配慮してよ!!」
という氣持ちはすべて本当は自分が自分に対して伝えたい言葉だからです。
それを外側の誰かに向けてしまうのは自分を見ようとしていないから。
少し厳しく聞こえるかもしれませんがほとんどの人は意識が外側に向いていて自分を見ていません。
自分を見ることって本当にみんなしたくないんです(笑)。
自分を見ることは痛みを伴う
なぜならそこには
今まで無視してきた自分
嫌ってきた自分
引き出しにしまってきた自分
そんな一面がたくさんあるから。
それらと出会い、見つめ、そこで湧き出る感情を味わい、消化していく必要がある。
これは本当に苦しくて、辛くて、痛い作業です。
できれば避けたい。
だから身体はそれを感じないように緊張、凝り、しこり、を作って一時的に麻痺させます。
でも人生を生きているといつか必ずそこを感じないといけない状況が自然とやってきます。
それが恋愛です。
恋愛は鏡の現象
恋愛とは男女という対極同士が出会うことで自分の中にある対極を見る鏡の現象です。
ただ一緒にいるだけで
今まで奥底にしまっていたもの、
眠らせていたもの、
それがどんどん表に出てきます。
これを聞くと恋愛したくなくなりますよね(笑)。
だから失恋や別れを経験した人の中には
「私は恋愛に向いてない」
「一人の方が楽しい」
「一人の方が生きやすい」
と言って恋愛に伴う自分を見る行為から遠ざかろうとする人もいます。
でもね。
自分と向き合うことを拒んでも人生(魂)は必ず自分を見る機会を勝手に作り始めます。
なぜならあなたが関わる人は恋愛相手でなくても距離が近くなればなるほど鏡のような関係になるからです。
人でなくてもペットでも同じことが起きます。
つまり恋愛を避けても結局は自分と向き合うことになる(笑)。
ただ経験上恋愛ほど強力な自己理解装置はありません。
異性という対極がもたらす氣付きは本当に深くて濃厚だからです。
そしてどこかのタイミングで「人肌が恋しい」「誰かと濃密な時間を過ごしたい」
そんな思いがふとやってきます。
だから一人が楽だと思っていてもまた恋愛に戻りたい氣持ちになることがある。
無条件の愛
無条件の愛とは予測不可能な未来に対して「何があってもあなたを愛する」という
永遠を含んだ尊く神秘的な愛です。
これは母親が子供に感じる愛にとても近いと思います。
子供がどんな人になってもその子を愛する。
子供が別の国へ行っても、犯罪を犯しても、疎遠になっても。
それでもその子を愛する。
そんな愛です。
束縛のない愛
もしそれが恋愛関係で起きたらどうなるでしょうか。
相手に束縛をかけることはありません。
相手がどんな行動を取ろうとその人を愛し続けることができます。
つまり、その人が別の人を好きになり、その人とデートし、その人と身体を重ねても。
それでもその人への愛が変わらない。
そしてその人があなたの元へ帰ってきたら同じ熱量で愛することができる。
その人の幸せはそのままあなたの幸せになる。
つまり、その人が誰といても、何をしても、その人が幸せなら自分も幸せになる。
ここまで来るとかなり理解不能な領域に感じるかもしれません(笑)。
深みが出てくるスパゲッティー理論
ここでスパゲッティー理論を説明します。
この世界にはありとあらゆる
色
味
香り
感触
食感
があります。
好奇心がある限りそれを味わってみたいと思うのはとても自然なことです。
例えば毎日レストランでスパゲッティーを食べているとしましょう。
レストランでは当然周りの人が頼む料理が視界に入ります。
ハンバーグ
カレー
カツ丼
親子丼
厨房からその注文も聞こえてきます。
毎日スパゲッティーを食べているとある日ふと
「たまには別のものを食べてみよう」
と思います。
そして実際に食べてみると
ハンバーグ美味しい!!
カレー美味しい!!
カツ丼美味しい!!
親子丼美味しい!!
となる。
新しい料理には新しい感動があります。
でもね。
どこかであの毎日食べていたスパゲッティーが恋しくなる。
そしてまたスパゲッティーを注文する日が来る。
変わったのは料理ではなく自分
いろんな料理を食べて一周して再びスパゲッティーを食べたとき新しい感動が訪れます。
同じスパゲッティーなのになんて味わい深いんだ。
ソテーされた玉ねぎの甘み。麺の香り。トマトソースの苦味や渋み。
「なんで今まで氣付かなかったんだろう。」
スパゲッティーは変わっていない。
変わったのは、
あなたの心の余裕。感性。氣付く力。
でもそこに辿り着くにはいろんな料理を味わってみないと分からなかった。
愛は待つこともできる
つまりスパゲッティーはただそこにいてあなたを待つだけで新しい氣付きをあなたに与える存在になった。
恋愛もまさに同じです。
もし好きな人が他の人と付き合いたい、他の人と身体を重ねたい、他の人と時間を過ごしたい。
そう思うならそれでもいい。
あなたはただ愛を持って待っていればいい。
なぜならあなたのように広い器を持った人はそう多くないから。
それに氣付いた人は必ずあなたのところへ戻ってくる。
そして今まで以上にあなたを大切にする。
自分の幸せを自分で引き受ける
嫉妬や執着を持たずただ相手の幸せを祈れる人。
そんな人がこの世界にどれくらいいるでしょうか。
好きな人を束縛せず自由にさせられる人。
そんな人は本当に少ない。
それができる人は仏陀に近い存在であり自然と人から愛される存在になります。
なぜならみんなが幸せなら自分も幸せだから。
そしてこれは自己完結している状態でもあります。
つまり自分で自分の幸せの責任を取れている。
自分の幸せを誰かに依存していない。
ここに辿り着くと人は「無敵」になります。
なぜなら敵なんて最初からいなかったことに氣付くからです。
恋愛とは魂を広げる旅
恋愛は幸せになるためだけにあるものではありません。
恋愛は自分を知るための旅でもあります。
嫉妬することもある。
執着してしまうこともある。
それは決して未熟だからではありません。
それはあなたが愛を学んでいる途中だからです。
恋愛をすると今まで見たくなかった自分とも出会う。
弱さ
寂しさ
不安
孤独
でもそれを一つ一つ味わい、受け入れていくと人は少しずつ器が広がっていきます。
そしていつか好きな人が誰といても何をしていても、その人が幸せなら自分も幸せだと感じられる。
そんな無条件の愛の領域に少しずつ近づいていきます。
恋愛とは相手を手に入れることではなく、相手をコントロールすることでもなく
自分の愛の器を広げていく旅。
だからもし今、嫉妬したり、執着してしまったり、苦しい恋愛をしていたとしても、
それはあなたがダメだからではありません。
それはあなたの愛が大きくなる途中のプロセス。
そしていつか気付くのです。
愛とは誰かを縛るものではなく
誰かを自由にできるほど自分の心が広がることなのだと。


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