
體を走るビリビリという感覚のはじまり
一年前から、施術をさせていただいている最中に、身体中をビリビリと走るような感覚が現れるようになりました。
最初は正直、何が起きているのか分かりませんでした。氣のせいなのか、それとも疲労なのか。けれど回数を重ねるごとに、その感覚ははっきりとし、むしろ心地よく、深い安心感を伴うものだと分かってきたのです。
セラピストになってから意識が内側へ向いたこと
セラピストになったのは、今から2年半ほど前になります。それまでは意識が常に外側に向いていて、「どう見られるか」「どう評価されるか」「うまくやれているか」ということばかりに囚われていました。
施術という仕事に出会い、ヨーガや脱力講座を通して自分自身の身体と向き合う時間が増えるにつれ、意識は自然と内側へと向かうようになっていきました。呼吸、重さ、温度、微細な感覚。そうしたものに耳を澄ますことで、感受性は少しずつ、しかし確実に高まっていったのです。
「目合い(まぐわい)」という日本人の在り方との出会い
ちょうどその頃、「目合い(まぐわい)」という言葉に出会いました。これは、現代的な意味でのセックスという概念が日本に入ってくる以前、日本人が大切にしていた在り方や、魂と魂の交わりを含んだ、とても奥行きのある言葉です。
ありがたいことに、私はこの目合いを実際に体験する機会にも恵まれました。
緩むことで変わっていった生き方
その体験は、価値観を大きく変えるものでした。何かをする、与える、満たすというよりも、ただ在ること。深く安心し、委ね、つながること。その中で身体は自然に緩み、生き方そのものも「頑張る」から「委ねる」へと変化していったのです。
身体が緩むと、五感が目を覚まします。音が立体的に聞こえ、光が柔らかく感じられ、触れることそのものが情報として体に染み込んでくる。そうした感覚の変化とともに、あのビリビリとした感覚も、より鮮明になっていきました。
ビリビリの正体は「體」という漢字にあった
最近になって、このビリビリの正体が少しずつ分かってきました。そのヒントは「體(からだ)」という漢字の中にありました。
多くの方が使う「体」という簡略化された文字ではなく、「體」という旧字。この文字をよく見てみると、「骨」と「豊」という要素が含まれています。
皮膚ではなく、骨を走る感覚
私は長い間、このビリビリは皮膚の表面や神経の反応として起きているものだと思っていました。しかし、ある時ふと気づいたのです。これは皮膚ではなく、もっと深いところ、つまり骨を走っている感覚なのではないか、と。
骨は、身体を支える構造であると同時に、もっと根源的なレベルで「存在」を支えています。そこに振動が走るということは、表面的なリラックスではなく、存在の深いところが安心している証なのかもしれません。
「豊」が示す、つながりの恍惚
そしてもう一つの要素である「豊」。これは、物質的な豊かさというよりも、万物とつながっていることから生まれる充足感や、恍惚感に近いものだと私は感じています。
骨を通じて全身がつながり、そのつながりの中で満たされていく。その状態こそが、私の感じているビリビリの正体なのではないかと思うようになりました。
ビリビリが教えてくれる「自然に緩む」ということ
このビリビリを感じられるようになると、人は自然と緩みます。意識して緩めようとしなくても、身体のほうが「もう大丈夫だよ」と教えてくれるからです。
この感覚の中にいると、不思議なことに、悩みごとがとても小さく感じられます。問題が解決するというよりも、問題そのものが重要ではなくなる。ただ、今ここに在ることが心地よく、幸せだと感じられるのです。
その状態に入ると、體はさらに深くリラックスしていきます。呼吸は自然に深まり、思考は静まり、境界線が柔らかく溶けていくような感覚が訪れます。
施術中に起きている、目には見えないつながり
最近では、施術中にこのビリビリを感じられる方が増えてきました。中には「電気が走ったみたい」「居心地良いビリビリがした」と表現される方もいらっしゃいます。
これは、触れ合うことで新しい電気回路のようなものが生まれ、骨と骨が共鳴し合うからではないかと感じています。
感じられなくても、緩みは起きている
すべての方がこの感覚をはっきり自覚できるわけではありません。感受性の開き具合には個人差があります。ただ、たとえ自覚できなくても、このビリビリは確実に伝わっています。
多くの方が施術中に自然と眠りに落ちるのは、こうした深いレベルでの安心とつながりが、内側で起きているからなのかもしれません。
テクニックよりも「在り方」を大切にする施術
私の施術には、いわゆるテクニックと呼ばれるものはほとんどありません。強く押したり、何かを矯正したりすることもしません。
大切にしているのは、「どう在るか」ということだけです。施術者である私自身が緩み、余白を持ち、相手を変えようとしない。その在り方があるからこそ、體を巡るビリビリが生まれるのだと思っています。
この感覚が體を巡るためには、こころとからだのゆとり、余裕が欠かせません。頑張りすぎている時、力が入りすぎている時には、なかなか訪れない感覚でもあります。
神奈川県藤沢市で行っている施術・カウンセリングについて
現在、私は神奈川県藤沢市にて、施術とカウンセリングを行っています。
日々忙しさの中で緊張を抱えている方、理由は分からないけれど疲れが抜けない方、ただ深く休みたいと感じている方に、この「在るだけで緩んでいく時間」を体験していただけたらと思っています。
もしこの文章を読んで、理屈ではなく、どこか體が反応する感覚があったなら。それはもう、あなたの内側が何かを思い出しかけているサインかもしれません。
ご縁のある方と、藤沢でお会いできることを、静かに楽しみにしています。

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